午前零時、甘い夜に祝福を

written by 今井舞衣様

 どうしよう。
 カレンダーの日付が一日進むたびに、ぐるぐると私の脳を言いようのない不安が支配していく。仕事の締め切りではない。もっと、個人的でプライベートで、えぇっと……
「社長~。ハクさんの誕生日、なにをするかもう決めました?」
「あああぁぁ……」
 ユイの言葉に膝から崩れ落ちた私を、彼女はやや引いた顔で見ていた。そう、ハクの誕生日。直近に迫っているのに、何を贈ろうだとか、どんな一日にしようかな、だとか。そういう当日のビジョンが全く見えてこないのだ。お祝いしたい気持ちがないわけでは決してない。けれど、誰よりも私からのお祝いを喜んで欲しいし、去年よりもっと素敵な演出をしたい! と意気込んだのはいいものの、それが枷となって結局なにもアイディアが浮かばないまま、刻々と時は流れてしまった。
「そんなに悩まなくても、ハクさんは社長のしてくれるお祝いならなんだって喜ぶと思いますよ~?」
「それはそうなんだけど」
 自負しているわけではないけれど、ユイの言うとおり、私がどんな祝い方をしたってハクはきっととても喜んでくれると思う。一緒にいられるだけで幸せだとか嬉しいだとか、飾らない言葉をいくつもくれるから。だからこそ、小さなしあわせではなく、なにか大きなことを……と考えてしまうわけで。何をしても喜んでくれるというのは、それでいてなかなか張り合いのないことでもある。故に、びっくりした顔だったり、普段見せないような顔をして欲しい、なんて考えてしまう。そもそも自分の誕生日でもないのに、私が満足する祝い方を考えるのは不謹慎なことなのかもしれない。そんないろんな感情がせめぎ合って、ハクの誕生日になにをしよう、という私の悩みは、解決するどころかどんどん膨れ上がっているというわけなのだ。
「『誕生日 喜ばれるもの』……」
 日夜検索しすぎて、検索候補に自動的にあがってしまうその単語を見てため息をつく。こんなありきたりな、万人受けしそうなものをハクに贈りたいわけじゃない。それでもなにか手掛かりがあれば……と、今日も目についた記事をタップしてみるけれど、手ごたえがありそうな内容は見つけられなかった。
 いっそ本人にして欲しいことを聞いたほうが早いかもしれない。でも、きっと先ほど考えたようになんだっていいって、一緒にいられるだけでいいって言われてしまうのだ。もちろん、いい意味でなのは分かっている。わかってはいるけれど……
「おめでとう、だけでも、同じなのかな……」
 何かしてあげたい、と思うのは私のエゴだ。喜んで欲しいと思うのも、私の気持ちの押し付けでしかない。だったら、お祝いの言葉だけでいいのでは。だけ、なんてことはないと思う。おめでとうって言われることだって、誕生日を祝われていることに変わりはないのだから。ならば、日付が変わったとき一番にお祝いをしよう。それがせめてもの彼への誠意。
 ユイが大丈夫ですか、と心配そうに声を掛けてくる。大丈夫ではない。この時の私は、頭を使わないけれど睡眠時間を削るような仕事をこなしていた。当然、睡眠時間は細切れだ。後になって振り返れば、そんな極限状態でハクを祝おうと考えていたことが、そもそも難しいことだったのだ。もっとハイな頭で、リボンをつけた私がプレゼントだよ、などとぶっ飛んだ考えにならなくてよかった、と安堵したのは、ハクの誕生日が終わった後のことである。

「それで、オレはやめとけっつったんですけどね? 全然ききやしねぇんだ、あいつら……」
「もう帰ってもいいか」
「ハクさんまで、冷たいですよ~! たまにはあいつばっかりじゃなくて、オレにも付き合ってくださいよ!」
 カンヤの絡み方にため息をつく。だからこいつと夕食を食べるのはいやだったんだ。そうは言っても時すでに遅し。アルコールも摂取していないのに、よくこれだけ饒舌に喋れるなと思う。自分はどちらかというと口下手で、思っていることをカンヤみたいにぽんぽん伝えられはしない。
 思っていることがないわけではない。でも、なんとなく口にするのは憚られて、つい今日までなんでもない、とやり過ごしてきてしまったことがある。
「ちょっと、聞いてます? ハクさん」
「悪い。帰っていいか」
「だから、たまにはオレに付き合ってくださいって」
「じゃあな」
「あんた、ほんっとに話聞かないな!」
 財布から抜いた札をテーブルに置いて、ついでにその場にカンヤも置き去りにして店を後にした。七月末の夜は、日が落ちていてもじんわりと蒸し暑い。ほんのりとなびく夜風を浴びながら、自宅のある方に歩き出した。
 ――あいつは今、どうしているだろう。
 ふと、そんなことが頭をよぎる。朝も通話ではあったけれど声を聞いたのに。先立つ用事がないときは、つい彼女のことを考えてしまう。ここ数日、特に変わったことはないけれど、それがかえって気にさせられてしまうのだ。
「そういえば、明日だったか」
 別に彼女と会う約束をしたわけではないけれど、なんとなく休暇申請をしてしまった。俺の誕生日だ。数年前までなんの意味も持たなかったその日が、急に彩にあふれた『特別な日』に変わった日のことを、つい昨日のように思い出す。
 不器用ながらも、俺のために用意された料理。あれこれ悩みながら差し出されたプレゼント。一般的にはありふれた誕生日だったのかもしれないけれど、俺にとってはなによりも幸せに満ちあふれたものだった。あの時間だけで、人生の辛かったことがすべて清算出来たような、生まれてきたことを祝福されたような、そんな気持ちになった。
 それから一年。今年は、彼女から特になにかするという前情報は貰っていない。そもそも、明日が自分の誕生日だと、覚えていない可能性だってある。ここ最近仕事がとにかく立て込んでいるようだったし、今朝も寝坊しかけたところに電話を入れて、数秒で通話は切れてしまった。自分から明日の予定をうかがうのは、なんとなく気まずかった。誕生日を祝ってくれと催促しているように思えたからだ。
 もともとなにもない一日だった。今年はそれに戻っただけ。そう言い聞かせるようにしても、どこか腑に落ちない、もやりとした気持ちが心の奥に残った。

 公務員宿舎のエントランスを抜けて、自宅にある階までエレベーターに乗る。特別なことなどない自宅のドアまでの道のり。けれど、開いたエレベーターの先に、見慣れた影があった。
「おまえ、なんで……」
「あ、ハク! おかえりなさい」
 彼女だった。ドアに背を預けていた彼女は、俺の姿が見えるなりこちらに駆け寄ってきた。
「えへへ、びっくりした?」
「かなりな。来るなら連絡してくれ」
「ご、ごめんね……」
「別に。怒ってるわけじゃない」
 連絡をくれていれば、カンヤと夕食を食べることもなかった。真っ先に家に帰って来たのに。
「上がっていくか? なにか用があったんだろう」
「えぇっと。用があったっていうか、これから用があるっていうか」
「……?」
 ちらちらと時計を確認する彼女に首を傾げる。この後、なにか予定があるのだろうか。
「あがって、行こうかな」
「わかった」
 考えていた彼女がそう告げたので、ドアをあけて迎え入れる。やっぱり帰ると言われたら送っていくつもりだったけれど、俺が帰ってくる前から待っていたのだ。なんの用事もない、なんてこともないだろう。
「それで、どうしたんだ」
 こんな時間に、明らかに仕事を終えたばかりであろう格好で、家の前で待っていた理由を尋ねる。
「ハク、私……あまりにも考えなしだった自分が恥ずかしい」
「……?」
「ずっと考えてたことがあるの。聞いてくれる?」
 頷くと、少しだけほっとした顔をした彼女。玄関で立ったままなのも変だと思ったので、とりあえずリビングのソファに座らせて、彼女が話し始めるのを待った。
「こういうのって、タイミングが大事なんだよね」
「?」
「いろいろ、あるんだよ。女の子には」
「そ、そうか……」
「今、面倒だなって思ったでしょ! わかってるよ、私だってめんどくさい女だなって思ってる」
「そんなことは思ってないが、考えてたことがあるんだろ」
「……うん、あのね。ハク、明日誕生日でしょ」
 誕生日、と彼女の口からその言葉がでて、ひくりと身体が揺れた。帰り道に考えていたことを見梳かれたみたいで、少しだけばつが悪い。
「そう、だな」
「私ね、いろいろ考えたんだよ。ハクに何をプレゼントしようかな……とか。去年は手料理を振る舞ったから、今年もそうしようかな、とか。でも、いろいろ考えてるうちにわからなくなっちゃって。それは私がハクにしたいことで、ハクがして欲しいことじゃなかったのかもしれないなって」
「そんなことはない」
 どんな形でも、祝ってくれたことは本当に嬉しかったし、だからこそ今年も、柄にもなく心のどこかで強く期待していたのだから。それをうまく伝える言葉を持ち合わせていないことが歯がゆい。そんな風に俺が言葉を選んでいる間も、彼女の感情の吐露は続く。
「だから、せめて一番におめでとうって言おうと思ったの。それで家の前で待ってたんだけど。着いてから、そもそもハクは今日は帰ってくるのかも聞いてなかったこととか、言うだけ言って帰るのもな、とか。自分の無計画さと要領の悪さに落ち込んでたんだよ」
 そこに、あなたが帰ってきたの、と告げる彼女は、申し訳なさそうな顔をしていた。そんな顔をするようなことじゃないのに。
「こんなことになるなら、ありきたりでも去年と同じように準備すればよかった」
「おまえの言い分は分かった。だが、いくつか勘違いしてることがあるな」
「え……?」
「まず、どんな形であれ、おまえが俺の誕生日を覚えていてくれたこと。それだけで俺はじゅうぶんすぎるくらい嬉しい。今年は、休みの予定だとかスケジュールを確認しなかっただろ? だから、忘れてるのかもしれないなとばかり……」
「わ、忘れるわけないよ! 私の家のカレンダーも、携帯だって! ハクの誕生日はしっかりとマークをつけてるんだから!」
「ああ。だから、そうやって気にかけていてくれたことがわかったから、今日ここにおまえが来てくれたことには十二分に意味があったんだ」
 一番に祝うなら、メールだって電話だってあっただろうに。そういう手段を選ばずに、会いに来てくれたことがうれしい。
「それから、もうひとつ」
 少し困惑気味の彼女を抱きしめる。もう逃さない、そんな意思表示だった。
「俺の誕生日はまだ、始まってない。明日は何か予定があるのか?」
「な、ない、です、けど」
「だったら、これから明日が終わるまでのおまえの時間を、俺にくれないか?」「そんな、ことでいいの……?」
「そんなことじゃない、おまえにしか出来ないことだ」
 腕の中で、俯いていた彼女がおずおずと顔をあげる。頬は、ほんのり赤らんでいて、ああ、かわいいな、と、柄にもなく思った。
「私で、良ければ」
「ありがとう」
 今、何時だろうか。誕生日まではまだ時間があるとは思う。でも、とびっきりのプレゼントを前にして、待てが出来るほどお行儀もよくなければ大人でもない。彼女の顔に影を落として近づくと、ふわりと瞳が閉じられた。唇を触れ合わせて、それを受け入れてくれる彼女を強く抱きしめる。首に彼女の腕が回された。そこに体重をかけられてなし崩しのまま、ふたりしてソファになだれ込んだ。
「日付が変わってすぐに、言えないかも」
「朝起きたら、一番に祝ってくれればいいさ」
 二度目の口付けは、先ほどよりも深く、甘い。けれどそれよりも、もっと甘い夜がこれから始まろうとしていた。

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ハク先輩、お誕生日おめでとうございます!大好きな先輩をお祝いする素敵な企画に参加できて、とっても幸せです。カウントダウンのほうにも参加させて頂きまして、そちらでは家に来てもらう話を書いたので、誕生日はハク先輩の家に赴く話にしました。他にも天気だったりが正反対だけど、行きつくところは同じでラブラブなふたり、みたいなものも意識したので、あわせて楽しんでいただけると嬉しいです。どちらの作品もふたりのデートによくある、なにもかもがうまくいっているわけでもないけれど終わりは最高!みたいなものを目指しました。完璧さではなく、一緒に過ごす日々に幸せを感じているふたりが大好きです。今後とも、ハク先輩の幸せを物陰からひっそりと応援したいと思います。この度は本当に、おめでとうございました~♡