Chu Chu Chu
「ただいま」
部屋の電気が付いているのに、彼女の気配はない。感じるのはほのかに漂う甘い香りだけだ。約束の時間よりも遅くなってしまったからへそを曲げて帰ってしまったのだろうか?いや、アイツに限ってそんなことないだろう。過った想いを打ち消すように頭を振った。
とはいえ、自分の想像を遥かに超える行動をとるのが彼女という生き物だ。僅かな不安を抱えたままリビングに続くドアを開けた。
「すー……」
「……なんだよ」
ほっとしたと同時にどうしようもなく愛おしさが込み上げる。ソファで眠るアイツの腕の中には俺のシャツ。大事そうに握りしめている姿に、任務を言い訳にあまり構ってやれてなかったことを少しばかり反省した。
「我慢させて、ごめんな……」
眠る彼女の傍らに腰をかけ、頬を撫でる。くすぐったそうに身をすくめたかと思えば、むにゃむにゃと動く唇。
「おまえは本当に……」
何気ないその仕草にやられてるのは、間違いなく俺だ。こんなに愛しいと思える相手に出会ったことは俺の人生の中で1番の幸運。そう思わずにいられない。
「好きだ……」
穏やかに眠るその唇に吸い込まれるように触れ合わせる。するとそれまで眠っていたはずのアイツが目を覚ました。
「!!!」
「……っ」
やわらかな頬が紅く染まるのが面白く、一度引いた顔をもう1度近づけてみる。
意思の強い大きな目、
ずっと伸びた鼻筋、
薄く開いた唇
彼女が身を引くから、さらに近づいてみたり
あー……
キスがしたい
本能のままにキスしたいと思う反面、無理させるのは本意ではない。自分の欲求と、理性がせめぎ合う。こういう時ほど彼女の中の「先輩」という立場を呪うことは無い。結局なんだかんだで俺は理性が勝ってしまうのだ。
「ハク……?」
彼女の声で我に返ると慌てて体を離した。そうでもしないと、また彼女に触れてしまいそうな気がした。すんでの所で欲望を閉じ込める。
「……」
着替えるために立ち上がろうとすると、細い腕が俺を掴んだ。
「……もう、キスしてくれないの?」
小さな声だったがそれははっきりと俺の耳に届いた。おまえからそんなこと、言われたら俺は――
「今日は、これだけだ」
咄嗟に口をついて出たのは自分の意思とは正反対の言葉。今キスをしたら、それだけではすまなくなる。これでいい、と納得しようとしていた俺の目に飛び込んできたのは、不安そうに瞳を揺らしている姿だった。
……不安にさせたいんじゃない。
おまえがなにより大事だから……
「ハクのことが好きだから、キスしたいのに」
追い打ちをかけるような言葉に、無理に保っている理性が崩れ落ちそうになる。寝起きの潤んだ瞳。上目遣い。半開きの口。誘ってるようにしか見えない彼女を視界から追い出す。不自然に視線を逸らすと、思わず、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。
「誘ってるのか」
「え?きゃっ」
強引にソファに押し倒す。先程よりもさらに紅が増す彼女が期待していることは、きっと俺と同じだろう。ゆっくりと、自分をも焦らすように顔を近づけていく。
「……っ」
耳元で名前を呼べば、ぴくん、と反応する。俺の与えるものが彼女を支配しているようで、身体の奥に言いようのない熱いものがこみあげるのがわかった。
「ま、待って」
「待てない」
「だって……今日ハクの誕生日じゃない。まずはお祝……んっ」
言わんとすることはわかる。去年の誕生日、彼女に願ったことを叶えてくれようとしていることも。だがそれよりも今俺が欲しいのは……
「なんだ?」
「だから、お誕生日っ……はっ」
何か言いかける彼女に続きを言わせないように、柔らかな唇に自分のそれを重ねる。我ながら意地悪だと思う。だが彼女にどう思われようと、今はこの愛しい温もりを離したくはなかった。重なる身体から速さを増す鼓動はきっと伝わっているだろう。彼女は俺の肩を力いっぱい掴んだ。
「ねえっ」
「……」
「ちゃんと言わせて」
真っ直ぐに俺だけを映す瞳。同じように俺の瞳に映るのも彼女の姿だけだ。まるでふたりきりの世界に閉じ込めているような感覚。
「お誕生日おめでとう、ハク」
「……ああ」
なんでもないはずだったただの一日が、彼女の言葉ひとつで大事な日になる――
HAPPY BIRTHDAY HAKU !!!!!!!!!!!!!!
お誕生日おめでとうございます。