一日遅れのバースディ

written by にぃ様

ストーリーネタバレなしです。

 近頃変な人が会社の前にいる。
 自分の気のせいかもしれないと思ったけれど行く時も帰る時も同じ背格好の少し小太りな男性がビルの前で携帯を見つめている姿を何度も見かけては近くに職場があるんだろうと思っていたけれどその人は一週間前から私のあとをつけてくるようになっていた。だから怖くなってハクに思わず電話をかけると数分で駆けつけてくれて空を飛んで逃げてくれた。
 空中から下を見ると付けていた男性が辺りをキョロキョロと慌ただしく探し始めている姿を見てゾクッとする。自分を探しているみたいであのまま追いかけられていたら最後どうなっていたのかと思うと怖くなる。
 ここ最近のことを話してみるとハクの顔がどんどん渋いものに変わっていってしまう。
「……このままおまえの家に帰すのも怖いな」
「えっ、どうして?」
「あの男がおまえの家の前か近くに潜んで待ち伏せてる可能性もあるからな。玄関を開けた瞬間女性を押し込めて乱暴にする事件は結構あるんだ、だから……」
 そう言われてまた怖くなってきて震える自分の手をハクの大きな手がぎゅっと握ってくれて見上げるとさっきとは違い優しく微笑む彼と目が合う。
「大丈夫だ、おまえにはオレがついてる」
 その言葉に強張っていた体から力が抜けていく、彼のその言葉だけでホッとしてしまうのは彼が何度も私のことを守ってくれたからだ。
 他の誰でもなく彼に助けを求めたのだって無意識だった。
「そうだ、ならうちに来るか?」
「えっ?」
 その後言われたのは信じられないもので、でも彼の家に行くのは初めてだったからうなずいてみせると手を引かれてまたふわりと空を飛んでいく。
 そうやって連れて行かれたのはハクの家だった。
 彼は携帯で誰かとベランダで会話した後、部屋で立ち尽くす自分に笑いかけると肩をぽんと軽く叩いた。
「ちょっとおまえの家の周囲をパトロールしてくるから、ここで待ってろよ」
「でもハクが危ない目にあったら……」
 前にもハクは任務だからって怪我をしてしまった時があった、その時のことを思い出すと胸が痛くなる。彼の仕事は命の危険があるものなんだって分かっているようで私はぜんぜん分かっていなかった。
「今回は先に同僚にも行かせてるし一人じゃない、少し様子を見てくるだけだ」
「……危ないと思ったら逃げてね、絶対だよ?」
 約束してと言いながら小指を出すとフッと短く笑った彼は私の小指に自分の小指を絡ませてくれた。
 最後に私の頭を撫でて自室の窓から飛んでいってしまう後ろ姿はあっという間に風に煽られて見えなくなってしまう。不安になりながら部屋を見回す、男の人の部屋に入るのは初めてだったけれどこんなに綺麗なものなのかな? というか私の部屋よりすごく綺麗……でも、なんだか人が住んでいる感じがしない。家具も最低限あるしきちんとしてるのに……どうしてなんだろう。
 時計を見るともう午後6時過ぎだった、そうだ。ただ黙ってここにいるなんて申し訳ないしなにか作って待っていよう。
 そう思いキッチン横に置いてある冷蔵庫を開けてみると野菜やお肉、調味料も結構あって驚いた。
 あんまり自炊しなさそうなタイプに見えたのに…って言ったら失礼かな。
 一旦冷蔵庫を閉めてキッチンに備え付けてあった棚を開けるとパスタを見つけて、もう一度冷蔵庫を見るとパスタぐらいなら作れそうと思い、材料を揃えていつも見ているレシピアプリから今日作るレシピを見つけて大きなお鍋に水を注いで火をかける。
 人の家で料理を作るなんて初めてで普段よりもゆっくり丁寧に作ってようやく完成したところで風がぶわっと吹きすさんで髪に張り付いてしまった髪を耳にかきあげながら振り返るとハクが帰ってきていた。
「ハク、おかえり!」
 無事で良かった、と笑ってみせるとハクはなぜか戸惑ったように顔をしかめて咳払いをしてからただいまと答えた。
「いいにおいがする」
「あ…ごめん、なにかお礼がしたくて晩ごはん作っちゃったの。勝手に台所使ってごめんね」
「……いや嬉しいよ、人の手料理なんて久しぶりだ」
 テーブルに座ったハクの前に作ったパスタのお皿を乗せるとハクの目がキラキラと輝いたように見えた。
「カルボナーラなんだけど、嫌いだったかな? ペペロンチーノとかの方が良かった?」
「どっちも好きだ、というかおまえが作ってくれるんならなんでもいい」
 すぐそういうことを言う、ハクといると全部受けとめてもらえるからだんだん彼といるとわがままで甘えん坊になってしまいそうで怖い。でもそれがとても心地が良いからなおさらだ。
 私はすぐに食べずハクの顔を見ながらドキドキと彼が食べる様子を伺う。
 フォークに巻きつけられたパスタがハクの口に運ばれていき、しばらくしてその顔が柔らかく綻んだ。
「美味い、上手なんだな料理」
「レシピ見て作っただけだし、手元もおぼつかないから全然そんなことないよ」
「オレもたまに作るけどクリーム系は失敗しまくってたんだ、今度教えてほしいくらいだ」
 いっぱい褒めてくれるから私も乗り気になってうなずいてみせる。
 私も食べてみると今日は結構上手に作れたみたいで口の中に美味しさが広がっていく。もぐもぐ食べていると視線を感じてみるとハクが頬杖をつきながら私を見つめていた。
「なにかついてる?」
「あぁいや、おまえがオレの家にいるのが不思議で幻なんじゃないかって思ってた」
「友達とか部屋に上げたりしないの?」
「あぁ、おまえ以外誰もな。上げる気もない」
 じゃあどうして私だけ? あっ、そうか。緊急性があったからだ。
 こんなことなかったら私だって上げない筈だし……。
「あ…そういえば家はどうだった?」
「あぁ、同僚と一緒に監視していたらさっきの男がうろついてたんだ。任意で連れていって貰った、そこで締め上げて今後一切近づかせないよう誓約も取らせる。それでもなにかあったらオレを真っ先に呼んでくれるか?」
「う、うん…」
 良かった、捕まったんだ。
 でもなんだか怖くなってきて俯く自分の手のひらにそっとハクの手が重なっていく。見上げるとすぐ傍にハクがいてごく自然にその腕の中に引き寄せられた。
「大丈夫だ、オレがついてる」
 そう言われるとひどくホッとしてしまう、でもこんな風に抱きしめられてなぜか最近は胸がドキドキしてくる。ハクに気づかれてしまうんじゃないかって思うくらいに。
「大丈夫か、震えてるぞ」
「だ、大丈夫っ……」
 少し間を開けてハクが離れたかと思いきや、自分の額にかかった前髪をかき分けて露わになった額にハクが自分の額を押し付けてきた。綺麗な顔が一瞬でアップになって驚いてなんにも言えずにいる私の気持ちとは裏腹にハクはいつもの涼しい顔でいた。
「……少し高いな、やっぱり少し体調が――」
「ハ、ハク…あ、あの私ならへーき…あのっ……ち、近いから」
 ようやくたどたどしく言った私と至近距離で彼の目と目が合う。
 するとみるみるうちにハクの顔が真っ赤に染まって後ろにのけぞるように彼が体を引かせていく。
「す、すまない…っ、わざとじゃない」
「う、うんっ…心配してくれたんだよね、ありがとう」
「……悪い」
 耳まで真っ赤にさせているハクを見てると自分までなんだか恥ずかしさが加速して妙な間が二人に流れていく。なんとかこの間を払拭したくてふとハクの後ろに飾られたカレンダーを見上げる、あれ……なにか忘れてるような……ストーカーのいざこざがあって余裕がなくてなにか大事なことを忘れているような気がする。目の前のハクはまだ少しだけ耳を赤くさせている、彼とカレンダーを交互に見て思わず「あっ」と声が出てしまいハクの肩が揺れた。
「そうだよ、ハク! 今日お誕生日なんじゃ…っ」
「……あぁ、そうだったな」
「ごめんっ、色々あって……」
「別にいい、もうそんな盛大に祝われるような年でもないしな」
 でも私にとっては……大切な日なのに。
 忘れてたなんてひどいな私。もうケーキ屋さんも閉まってるし、プレゼントだってない。
 なにか……なにかしてあげられたら。
 少し考えて無意識に思ったことを口にする。
「じゃ、じゃあ……ハク。私、なんでもしてあげるよ!」
 そう言うと飲んでいた水を盛大に吹き出したハクは咳き込みながら自分を戸惑った顔で見つめた。その顔がまた赤くなっていく、どうしたんだろう。私なにか変なことでも言った?
「……~~っ、おまえ…オレ以外の男にそんなこといつも言ってるのか?」
「? まさか…ハクだけだよっ」
 そう言ってみせるとハクの顔はますます赤くなっていって頭をぽりぽりとかきながら大きなため息をついて項垂れてしまう。もしかして熱があるの? そう思いそっと近づいてハクのおでこに触ろうとする私の手をなにかが阻む。それがハクの手だってことに気づいたのは彼がぱっと顔を上げた瞬間だった。
 男の人なのにどうして私よりまつ毛が長いの? とちょっと悔しいのはさておき。
「ハク……?」
「……本当に、なんでもしてくれるのか?」
「っ、う…うん。いいよ」
 なんだかハクの声のトーンが急に甘みを帯びてドキリとしてしまう。普段は思わないけれどたまにハクがこういった声を出すと胸がドキドキして落ち着かなくなるからやめてほしかった。
 するとハクのもう片方の手が私の髪に触れて耳にかきあげていく、そしてその手がうなじに回りクッと押されるようにハクに引き寄せられる。思わずハクの肩に自分の手を押し当てると至近距離でハクと目が合う。
「っ…ハ、ハク?」
「どうした、なんでもしてくれるんじゃなかったのか?」
 意地悪そうに微笑まれてかぁっと顔が熱くなるのを感じて、多分ハクの目から見ても赤くなっている気がする。
「で、でもっ……こんなこと、とは思ってなかったからっ…」
「おまえが言い出したことだろ? おまえ、たまにちょっと抜けてるよな……」
 するりとハクがうなじを撫でると、ぞくっとした感覚が起きてびくっと体が揺れてしまう。
「…そういうことは、男の前で言うなよ。不安になるだろ」
 ハクの顔が近づいてぎゅっと思わず目を閉じる、けれどなにも起きなくておそるおそる目を開けたタイミングでハクに体を引き寄せられて抱きしめられてしまった。
「ハク?」
「……ちょっとこうしててくれ、あと少しだけでいい」
 背中に回ったハクの手が優しく撫でていく、抱きしめるだけでいいの?
 それならいつだってしてあげるのに……さっきキスされるのかと思ってドキッとした。冗談、だったのかな。あんなことハクの為になにかしてあげたいって思って言ったのに。ぎゅう、と彼を抱きしめるとハクが笑ったような気がする。
 ハクの香りは落ち着く、そんなふうに思ったのいつからだったかな。
 高校のときはすごく怖くて、ヤンキーでカンヤのこと舎弟だと思ってたな。あの頃の私に言ってあげたい、私のこと守ってくれて、すごく強くて本当は……すごく、すごく優しいひとなんだって。
「……なにもいらない、ただ…オレの傍にいる時は、ずっと…笑っていてくれ」
「…うん」
 今日みたいに不安な顔見せたらだめだ、ハクにも心配かけたくない。私だってハクには笑っていてほしいし怪我もしてほしくない。守ってもらうだけじゃだめなんだ。こうして心配してくれるひとがいるんだってこと忘れないように……。
 

 ◆◆◆◆

 
 翌朝、職場へ行くと後ろから小突かれて振り向くと同僚が立っていた。
 昨夜一緒に彼女の家の回りをうろついていた不審者を彼に押し付けて急いで彼女が待つ家に帰ったのだが、不満げな顔を見るにどうやら怒っているらしかった。そういえば早く帰らなければと焦っていて彼には詳しく説明してはいなかった気がする。
「おまえ、人に押し付けて帰りやがって」
「悪かったよ、でもどうしても早く帰りたくてな」
「さては女だな」
「さぁ、どうだかな…でも多少のわがままはいいだろ、昨日は誕生日だったんだ。許してくれ」
 なら許すわと背中を叩いて笑う同僚に笑いながら昨夜のことを思い出す。
 高校の時の自分に言ってやりたい、あの時おまえが憧れている彼女と自分の誕生日に同じ部屋で飯を食って過ごしたなんてあの頃の自分は想像もしないだろう。いや少しは想像はした、彼女と待ち合わせて一緒に学校へ行けたり、昼飯を食べられたり一緒に部活をしたり帰りにどこかへ寄り道して帰れたりしないだろうかと。その思いを託した手紙は今考えると相当重い、だから彼女は来なかった。そこで諦めるつもりでいたのに彼女はなんの前触れもなくオレの目の前に現れた、あの頃のままで。
 彼女の提案には驚いたが別になにもいらないし、ただ一緒にいるだけで良かった。
 だがその後日自分の部屋に重そうなたくさんの材料を買ってきた彼女を見て胸の中に温かなものがこみ上げてきた。
 こんな気持ちを抱くのは彼女へだけだ。何もかもなくした自分が唯一なくしたくないもの。
 それを守るためならオレはなんだってする。
 そう思いながらエプロンをしながらキッチンに立つ彼女の後ろ姿を見つめながらなにか手伝えることはないかと思い隣に立つと花のように笑う彼女の目にオレが映る。おまえは知っているんだろうか、側にいてくれるだけで震えるほどの幸せに打ち震えている奴がいるっていうことを。
 今はまだこのままでもいい、だがもしも……オレになにかあったら今笑ってくれている彼女は苦しむんだろうか……彼女さえ守れるなら自分はどうなってもいい。そう思っていたが彼女の泣き顔を想像すると途端に恐ろしくなってきてしまう。大切なものはおまえの弱点になる、自分の命を惜しむようになれば任務達成に支障が出る、そういう教えを受けていた。その当時はそう思っていたが本当は違うんじゃないのか、大切なものがいてこそ生きて帰る為に必死になって任務を全うしようと思うんじゃないのか。
 泣かせたくない、オレはようやく許された彼女の側にずっと…ずっと居たい。
「ハク、どうしたの?」
「……いや、なにか手伝うよ」
「じゃあ味見してくれる? これ初めて作るから」
「あぁわかった。……今日はありがとうな。最高の誕生日だ」
 そう言って彼女の頭を撫でながらそっと彼女を引き寄せていく。
 以前のように怖がらせてしまわないか不安だったがおずおずと彼女の手が自分の腰に回っていくと彼女がハッピーバースディ、と目の前で笑いかけてくれる。その言葉に胸に温かなものがこみ上げていくそれを幸福だと思いながら彼女が壊れないよう、ゆっくりと自分の胸に抱き寄せていった――。

終わり

読んで下さりありがとうございました。彼のデート見るたびに付き合っていないのが本当に不思議です。主人公のことをいつも一番に想っている彼の優しさに本編でも救われています。